俱利伽羅駅の階段アートは木曽義仲と平維盛軍が戦った寿永2年(1183)5月の倶利伽羅峠合戦に因むデザイン。
義仲が牛の角に火のついた松明を取り付けて平家軍に向けて放った「火牛の計」のモニュメントもあり、源平好きにはたまらない仕様の駅です。
石動駅から電車移動で俱利伽羅駅へ。ホームに降りてまず目に入ったのが笹竜胆!!
「はっ?!あれは??」と思いつつ近づいてみると何と源氏、平家の家紋が描かれた階段。
俱利伽羅駅へ赴いたのは約10年ぶりでこの階段アートの存在は偶然知ったものでした。
平成28年度に作られたようです。
上の写真右下のQRコード
音源はこちらのリンク先↓
http://cms1.ishikawa-c.ed.jp/~kariye/NC2/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=1350
上の写真真ん中下のQRコード
歌詞は第九題までありますのリンク先↓
http://www2.spacelan.ne.jp/~kariyasu-es/kurikarauta/kurikaratougenouta.html
また、改札外に火牛の計のモニュメントも見えました。
階段を上がり、改札口へ向かう階段を下りて振り返ると、ここには火牛の計と八重桜のアート。
とても素敵な階段アートに得した気分になりました(^^)/
改札口近くには火牛の計を模した黒い牛が。
『火牛の計』
石川県と富山県にまたがる歴史国道「北陸道」が走る倶利伽羅峠は、源氏と平家が興亡を賭けた倶利伽羅源平合戦の舞台となったところです。
中でも『源平盛衰記』に記された木曽義仲による「火牛の計:かぎゅうのけい:」はとても有名です。
寿永2(1183)年5月11日、平家軍の総大将・平維盛は、倶利伽羅山中の猿ヶ馬場に本陣を敷き、約七万の軍勢と共に義仲率いる源氏軍を構えていました。
一方、義仲は埴生八幡宮:はにゅうはちまんぐう:で戦勝祈願を行った後、平家の動きに合わせて味方の軍を七手に分け、配置させ、夜が更けるのを待っていました。
夜半になり、四、五百頭もの牛の角に松明を付け、約四万の軍勢とともに平家の陣に突入しました。
その際、平家軍約一万八千は、源氏軍の奇襲に大混乱し、人馬もろとも地獄谷に突き落とされました。
駅を出て左手にモニュメントが見える場所と、観光案内図が設置されています。
俱利伽羅駅のある石川県側から進軍したのが平維盛軍、富山県側の石動駅:いするぎえき:方面が木曽義仲。
倶利伽羅峠は歩いて超えることも、車で行くことも可能で、また、4月下旬から5月上旬は八重桜が見ごろを迎えます。
公式サイト → http://www.ishikawa-railway.jp/route/station/kurikara.html
2009年5月3日撮影 JRのころの倶利伽羅駅
2019年7月20日撮影 「倶」と「俱」が違うことも発見しました!!