各地に伝わる常盤御前の墓の一つ。
源義朝と常盤の間に生まれた、今若(阿野 全成)、乙若(義円)、牛若(源義経)。
成長した牛若こと義経を追って奥州に向かう途中の悲しい伝説です。
住所
岐阜県不破郡関ケ原町大字山中
交通
参拝について
自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2019/11/17
備考
–
解説板より
都一の美女と言われ、16歳で義朝の愛妾となった常盤御前。
義朝が平治の乱で敗退すると、敵将清盛の威嚇で常盤は今若、乙若、牛若の三児と別れ一時期は清盛の愛妾にもなります。
都一の美女と言われ、16歳で義朝の愛妾となった常盤御前。
義朝が平治の乱で敗退すると、敵将清盛の威嚇で常盤は今若、乙若、牛若の三児と別れ一時期は清盛の愛妾にもなります。
伝説では、東国に走った牛若の行方を案じ、乳母の千種:ちぐさ:と後を追って来た常盤は、土賊に襲われて息を引取ります。
哀れに思った山中の里人が、ここに葬り塚を築いたと伝えられています。
関ヶ原町
激動の人生
1000人の中から1番に選ばれた絶世の美女・常盤。
最初は源義朝の愛妾となり、今若(阿野 全成)、乙若(義円)、牛若(源義経)が産まれ幸せでしたが、義朝が討たれた後は平清盛の愛妾となり、娘・廊の御方が誕生しました。
その後は一条長成に嫁ぎ、数人の子供に恵まれました。
義経は一条長成の遠縁で奥州藤原氏三代目・藤原秀衡を頼り、平泉を目指しました。
常盤御前は義経が一番可愛かったのか、後を追って奥州に向かう途中で土賊に遭遇して命を落としました。
左側にも小さな五輪塔が並んでいますが、従者の供養塔でしょうか??
どちらかが常盤御前の墓と思われます。
その後ろには化月坊が建てた芭蕉と自作の俳句の碑。
何と書いてあるかは、石からは読み取るのがむずかしく解説頼りです。
常盤御前の墓へ
駅から20分強歩いてやっと標識を見つけました。それまでは戦国時代のゆかりの地の標識ばかり…
道中の「鶯の滝」
滝の高さは約5mだそうです。かなり下の方です。
この高架下までくるとあともう少し!!
「スグソコ」と書かれた標識。分かりやすい(^^;
縦書きの標識とお地蔵の間の細い道を曲がってすぐです。
地元の方々の集いの場としても使われているのか、いすやトイレもある広場です。
お花が飾られ、手入れも行き届いているようで、これだと常盤御前も寂しくないですね。