平重衡 終焉の地は木津川のほとり。
その近くの安福寺には十三重塔の建てられ、毎年7月23日には重衡忌が行われています。(2022年は未定)
心道山 安福寺と号する西山浄土宗の寺で、平家一門の武将、平重衡とは縁の深い寺である。
平重衡は、一ノ谷の合戦で捕らえられ、鎌倉に送られた後、源頼朝に丁重に遇される。
しかし、東大寺、興福寺の焼討を憎む南都衆徒の強い要求により木津川の河原で処刑された。
そのとき、近くの古堂から運び出した阿弥陀像を平重衡の前に置き、佛の御手にかけた紐を、重衡が持ち「浄土に迎えられますように」と念仏を唱えながら斬首されたという。
本堂は、平重衡の死を人々が哀れみ、何時しか、哀堂(あわんどう)と呼ばれるようになった。
境内には、平重衡の墓と伝えられる十三重石塔が建てられている。
また、同寺の北西の木津川堤防には「首洗い池」と称する池が残り、その側には不成柿(ならずがき)と呼ばれる柿の木がある。
重衡が最後に食べた柿の種が生長したもので実がならないと伝えられている。
門をくぐってすぐ左手に十三重塔があります。
安福寺の北側を流れる木津川。そのほとりで処刑された重衡の供養塔もしくは墓と伝わっています。
こちらは通常非公開の「哀堂」←あわんどうと読みます。
公開されるのは7月23日の命日法要「重衡忌」の時。
その他は木津川市の秋の特別開扉に安福寺が参加されているときのみです。
2019年、安福寺は11/2~11/3の2日間のみ平重衡肖像画や引導佛などが公開されていました。
(2018年の特別開扉には不参加)
写真左側、江戸時代作の肖像画が展示されていました。
花も飾られていて優雅なイメージのある重衡卿の雰囲気が漂っていました♪
御朱印は2種類。手前の秋らしい御朱印は今年限定。
安福寺は浄土宗。
宗祖である法然上人の「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも極楽浄土に往生するという教えにならい、処刑される重衡が「南無阿弥陀仏」と唱えたと云われています。
法然上人の弟子は平重盛の孫・源智:げんち:や熊谷直実など、多くの人に影響を与えました。
肖像画の奥が法然上人像です。
哀堂と書かれた御朱印右上には奉拝の文字の下に「平重衡卿史蹟」が見えます。
涅槃図も公開されていて、ここ安福寺の涅槃図はある生物がいなかったり、とある物が届いていたり、多くの人が知っている涅槃図とは異なるそうです。
また今後、公開される機会がありましたらぜひ参拝してご確認ください(^^♪
息子さんも受付のお手伝いをされていて家庭的な雰囲気が素敵です。
毎年7月23日には哀堂内にて平重衡の命日法要が行われています。
重衡の命日は元暦2(1185)年6月23日。
安福寺では旧暦に近づけつつ、分かりやすいように7月23日とされているそうです。
申込み不要、どなたでも参列していただけます。
時間などは安福寺門前の掲示板に貼り出されています。
2017年の重衡忌のレポートはこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/shigehiraki-833/
重衡が処刑された木津川や不成柿、首洗池もすぐ近くです。
併せて散策をオススメします。
木津川駅周辺は飲食店が数軒。その他、安福寺から徒歩2分ほどのパン屋「木色」で一息つくものいいかもしれません。
小ぶりのパンですが、ギュッと詰まっていてナッツなどの具材もたっぷりでした。
店内飲食と伝えると切って出してくださいました。
静かな店内、パンの他にタルトやケーキもありカフェ利用のお客さんなど、人の出入りは結構ありました。
安福寺を出て左手(東側)へ、御霊神社手前の道を左へ曲がって約80m先です。
カーブミラーが目印です。一見パン屋に見えないかもしれません。
月火水はお休みだそうですのでご注意ください。