源頼朝、義経からみて高祖父の弟にあたる「源義光」の墓。
住所
滋賀県大津市園城寺町
交通
京阪「別所」駅徒歩20分
探訪について
自由
探訪目安時間
10分~
お気に入り度
☆☆☆☆☆
探訪日
2015/08/22
備考
木々に囲まれた場所ですが、1本道のため迷う心配は少ないです。雨の日や雨上がりは滑りやすいので要注意。
解説板より
新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。
兄に源義家、源義綱がいます。
新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、加茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
義光は弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083~87)には、兄の義家を助けるため奥州へでむいて、清原氏の乱を兄に協力して治めています。
義光は、1127年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。
新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。
兄に源義家、源義綱がいます。
新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、加茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
義光は弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083~87)には、兄の義家を助けるため奥州へでむいて、清原氏の乱を兄に協力して治めています。
義光は、1127年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。
大津市教育委員会
昭和62年3月
昭和62年3月
墓までの道順
先ずは新羅三郎義光が元服したと云われる新羅善神堂を目指します。
(新羅善神堂について → https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/shinrazenshindou/)
新羅善神堂へ先へ行くもよし、後でゆっくり行くも良しの距離です。
京阪別所駅を北へ、一つ目の角を西(左)へ曲がりこの標識を南(左)へ。
これには書かれてないんですね。
大津市庁舎第2号館を左手に、舗装されていない道を進みます。
写真は真っ暗に写っていますが、実際は日陰より少し暗い程度です。
弘文天皇陵を前を通り、突き当りまで進みます。
天皇陵の正面にある鳥居は新羅善神堂へ続いています。
突き当りの右手に細い石段の道があります。これが墓への参道です。
この石段に沿ってひたすら歩きます。
途中で案内標識があってホッとしました。しかし…
まだまだ続く道にだんだん心細くて怖くて怖くて…(;▽;)でも、今更引き返す訳にも行かず前進するしかない!
あっ!鳥居が!!
やっと到着、新羅三郎義光の墓。゚(゚^ω^゚)゚。
参道入口から墓まで恐らく10分くらいだと思いますが、心細さで30分以上歩いた気分でした(TдT)
写真を撮ってさっさと退散。
お参りの場合は複数人で参拝されることをお勧めします!!
案内標識にあった「新羅善神堂」は新羅三郎義光が元服した場所。
すぐ近くにありますので、お忘れなく。
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