2019年5月19日に行われた「六波羅政庁跡、音羽・五条坂窯跡発掘調査現地説明会」に参加してきました!!
とにかくすごい人出です。
説明会は同じ内容で10時、10時半、11時(11時半もあったかもしれませんが私は次の予定があり、この場を去っていたため不明)
今回の内容はネット上にアップ可、実際に説明されていた方にも動画に写っていてもよいか確認済みです(^-^)
今回の大きな発見の平家の屋敷かもしれない?!のがSD100の札がある堀だそうです。
当日配布された資料の一部。
黄色い部分が平安後期。
これに写真とGoogleマップを参考に鴨川と六波羅蜜寺、三盛町、池殿町のだいたいの場所を追加してみました。
各場所の写真です。
平安後期の出土品は1140~1150年代だそうです。ということは平家全盛期を迎えるほんの少し前、清盛公が20~30代くらいのころですね。
この資料と動画を合わせてご覧いただくのがわかりやすいかと思います。
10時半の回の動画です(約10分)
8分くらいからが平家のお話になります。
土塁は軍事目的。
個人的に質問した際に、この辺りには平家の郎党たちの屋敷があって、土坑が途中で切れているのはいつでも本家(平家)に行けるようにかもしれませんということでした。
色々な想像が広がりますね!!
しかし、平家の屋敷と思われるSD100の上に鎌倉時代に作られた六波羅政庁のSD303が。
なんか辛い……けど、こうしてはっきり分かる歴史が残っているのがすごい!!
すごくて写真ブレました(笑)
六波羅蜜寺より南東、京阪「清水五条」駅徒歩5分の道路沿い
正盛から忠盛へ、忠盛から清盛へ受け継がれた六波羅の地。
まだまだ新たな発見があるかも?!だそうです。
今後も注目ですね。
文化財サービスホームページより当日の資料がPDFでアップされています↓
現地説明会資料PDF