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安徳宮と安徳帝内裡趾傳説地<兵庫県神戸市>

公演のよう

この地には平清盛の孫・安徳天皇の内裏が一時的におかれました。
平家一門と運命を共にした安徳天皇は壇ノ浦合戦の際に、祖母に浪の下にも都はありますよと、なだめられ海に沈みました。
安徳天皇を祀っているところは各地にあり、ここもそのうちの一ヶ所です。

住宅街の公演のような場所に鳥居が建てられ、その奥に鎮座しています。
深い赤色

しめ飾り

解説板より
■安徳宮

御祭神 安徳天皇
(第81代)1178~1185

源平の戦で源氏に追われられた安徳帝は平家一門に奉じられて西走の途中、一ノ谷に内裏を置かれたと伝えられている。

この地に安徳帝のご冥福を祈るために祀られたのが安徳宮である。

安徳帝は寿永4年(1185)下関壇ノ浦の戦にて祖母二位の尼(平清盛の妻・建礼門院の母)に抱かれ、八才で海中に身を投じられた。

御神徳
子供守護 水難厄除
学業達成 年祭4月24日

■真理胡弁財天

御祭神 真理胡弁財天(龍神)

安徳帝は平家物語にあるように「海の下にも都があります」との祖母二位の尼の言葉と共に千尋の底へ鎮まれました。

海の下の都とは龍宮であって、龍宮の主は龍神であり、安徳帝の御守護神であると伝えられております。

御神徳
福徳開運 難病平癒
子授安産 諸願成就
芸能上達 年祭7月8日

平成3年(2001年)3月
史跡保存会

由来

安徳宮の隣に祀られているのが真理胡弁財天です。

隣同士

辯天

常に水が

その隣に皇女・和宮像
過去にハチの巣があった

ちょっとこわいかも

さらにその隣が「安徳帝内裡趾傳説地」
この辺りが内裏だった

当時はここから海が臨めたのでしょうか?

道順

須磨浦公園駅から東へ8分ほど歩くと一ノ谷合戦の激戦地だったと云われる戦の濱碑が建ち、そこから北へ進むと下記の場所に出ます。
毎年2月7日早朝には馬のいななきが聞こえるとか

行き止まり?

ここを通ります。
くぐる

写真ではわかりにくいですが、手すりがついているところが坂になっていて、一番上まで上ります。
段々

道中、見える海。
須磨浦

坂の上に着くと住宅が並んでいます。
通る

鳥居が見えてきました。ここが安徳宮です。
全景

花壇

参道

大鳥居は阪神淡路大震災で大きな被害を受けたそうですが、修復され現在に至っています。
自然災害から復興

安徳宮の前に置かれている燈籠二基。モルガン燈籠というらしいです。
モルガン燈籠

安徳宮

付近は一ノ谷合戦が繰り広げられた場所で、住所は「一ノ谷町」。
安徳宮と一ノ谷合戦ゆかりの地を一緒に巡ってみてはいかがでしょうか?
2丁目

住所
兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町2丁目
交通
山陽「須磨浦公園」駅から北東へ17分

参拝について
自由
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★★★★
参拝日
2020/01/02他
備考
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