京の小松谷に邸宅があったことから小松内府と呼ばれた平重盛。
現在の兵庫県西宮市にはかつて小松庄があり、平重盛の居館の伝承地です。
岡太神社には「伝小松内府 平重盛卿 供養塔」と「平重盛之城趾」碑が移築されています。
平重盛の居館伝承地があったことを示す顕彰碑。
かつて「伏松」という小高い丘が岡太社の西南にあり、それが「重盛居館」の伝承地とされた。
重盛は平清盛の長男。「小松内府」と呼ばれたことから、武庫川流末にあって平氏の領有であった「小松庄」に居館があったと理解されるようになった。
本碑は、昭和3年に地元実践青年団によって建てられ、その後いったん西方へ移され、昭和46年に岡太神社境内に移築された。
こちらには解説板はありませんでしたが、岡太神社でいただいた紙の由来によると『承安年間に居住せる平重盛のために建つ』や『社地近傍より発掘移転す』と書かれ、平重盛にゆかりあるものとして言い伝えられているようです。
左右の色が違ってみえるのと、真ん中の小さな五輪塔?も気になりますね。
狛犬かと思いきや…
静止でシシと読むようです。
■祭神
天御中主大神
天の真中に坐して世の中の宇斯:うし:たる神と申す意なり。
天の初発の時、高天原に生りませる神にして神道における根本神祇なり。
■相殿
髙皇産霊:たかみむすび:神
素盞嗚神:すさのお:神
稲田姫:いなだひめ:神
大己貴:おほあなむち:神
蘇民將來:そみんしょうらい:
■由緒
伝に曰く宇多天皇寛平5年(西暦893年、皇紀1553年)武庫郡広田の人岡司氏 此地を開発して浜村といひ延喜元年天御中主神を主神に広田の大神 五柱を志社として共に鎮祭せしを起源とし由って岡司宮と称す。
合祀神五柱は、元上の宮と称して本社の北に當る人家の間にありしを明治5年合祀せるなり。
明治6年8月村社に列し、同12年4月県社となる。
吾妻鏡 建久3年の條に、武庫御厨 小松庄と記せるは此地なるべし。
境内に小松内大臣 平重盛卿の供養塔を保存す。
■祭日
例祭 10月11日
夏祭 7月16日
↑由緒の最後の行に注目ですね。
現在の住所にも「小松」と入っています。
岡太神社は武庫川近くの住宅街の一角です。
②JR「甲子園口」駅から南へ徒歩35分
また、東へ徒歩40~50分(阪神電車なら3駅先の尼崎駅が最寄り)で平重盛の菩提所「専念寺」があります。
一緒にお参りされてはいかがでしょうか。
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