住宅に囲まれた公園内に佇む源氏塚。
平治の乱に敗れた源義朝の苦悩も刻まれているようでした。
解説板より
源義朝が平治の乱(1159)で平清盛との戦いに敗れ京都から知多半島へと舟で逃れる途中、当時小島であったこの地へ立ち寄ったと伝えられている。
それ以降この辺りは源氏島と呼ばれるようになったとされている。
源義朝が平治の乱(1159)で平清盛との戦いに敗れ京都から知多半島へと舟で逃れる途中、当時小島であったこの地へ立ち寄ったと伝えられている。
それ以降この辺りは源氏島と呼ばれるようになったとされている。
蟹江町教育委員会
平治の乱に敗れ、京都から滋賀を通り岐阜の青墓の宿まで逃走した源義朝。
平家の追っ手から逃れるため、南下して知多半島を目指し、途中で船に乗りました。
知多半島へ向かったのは、代々源氏に仕えてきた長田忠致がいたためです。
青墓の宿では、矢傷を負って助からないと判断した次男・朝長を手にかけ、三男・頼朝とは関ヶ原付近の雪の中はぐれてしまい、船に乗る頃には相当傷心だったのではないでしょうか?(個人的な推測ですが)
ちなみに長男・義平は別行動させていました。
源氏塚のある蟹江町のホームページ(http://www.kaninavi.jp/html/visit/park03/)によると、義朝一行は立ち寄ったこの地で村人のおもてなしを受けたそうです。
海岸線は現在とは異なり、当時は島だったため、源氏島と呼ばれるようになりました。
塚の周りは常に水が溜まっているのか不明ですが、この写真では島っぽいですね。
住所
愛知県海部郡蟹江町学戸7丁目
交通
①近鉄蟹江駅下車徒歩15分
②JR蟹江駅下車徒歩30分
②JR蟹江駅下車徒歩30分
探訪について
自由
探訪目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★☆
探訪日
2017/02/04
備考
–
カニが可愛い♪
源氏塚は愛知県海部郡「蟹江町」にあり、カニのモチーフのものがあちこちに!
源氏塚公園内、時計台の風見鶏ならぬ風見ガニ!!
源氏塚公園の北東には…
カニ!!!
噴水らしいのですが、朝早かったからか、水が出ている姿は見れませんでした…
義朝一行が立ち寄った時、カニはたくさんいたんでしょうか?!
カニのモニュメントなどに癒された場所でした。