
読み方は「あわのみんぶたいふき」
2025年は壇ノ浦合戦から840年。
壇ノ浦合戦後に処刑されたとされる田口成良(阿波民部大夫重能)の法要が2025年から始まることとなり、今後も毎年10月8日に執り行われるそうです。
平家物語で『阿波民部大夫重能:あわのみんぶ しげよし:』と呼ばれ平家に仕えた阿波国(現・徳島県)出身の武士。
「しげよし」は重能、成良など漢字表記は複数ありますが、このページでは今後「成良」で統一します。
成良の略歴と法要までの経緯
法要は東大寺大仏殿の東側にある俊乗堂にて。
俊乗堂は当初、成良が阿波に建てた浄土堂を重源がこの地に移した場所でした。
しかし後の時代に焼け現在の俊乗堂となっています。
成良が先陣を務めた南都焼討で東大寺は、大仏が焼け大仏殿の2階に避難していた大勢の人々が炎から逃れられずに命を落としました。
その東大寺で成良の法要が行われる運びになったのは、大仏復興に貢献した重源:ちょうげん:が成良と交流があり、成良が阿波に建てた浄土堂と仏像が東大寺に移されたことや成良の供養塔があったとされることから、成良の本拠地であった現在の徳島県神山町の吉祥院の住職さんの願いでした。
東大寺の俊乗堂の側にある石塔は成良の供養塔とされていますが、それを表すものは現地にはありません。消火栓が目印です。
関係者として参列させていただきました。
しかも受付はグループ化されていて、我々は平家グループ!
一般も少しテント席が用意されていましたが、周囲から自由に拝める状態でした。
法要の様子は奈良テレビさんがYouTubeにアップされています。
(26秒前後で散華、46秒前後で表白が拡大されて映っています)
https://youtu.be/pLQqkUZRBXI?si=54p0pYzgMZKUyrQN
法要中は俊乗堂内と、外のテント席両方でお焼香。
散華は徳島の伝統文化である藍染。裏表の写真です。
9年かけて全部揃うようです。
最後に平家琵琶の奉納演奏『重衡被斬:しげひらきられ:』がありました。
演奏は安徳天皇尊儀を安置する神戸市の万代山 大日寺の髙橋住職。
重衡軍が灯りをとるための炎が燃え広がって燃えてしまった東大寺で聞く『重衡被斬』
色んな思いが交差しました。
大日寺さんでは毎年4月に安徳天皇・平家一門御霊会をされていて、御住職自ら平家琵琶を演奏されています。
大日寺さんに成良の御位牌があったので不思議に思って質問したことがあるのですが、御霊会に吉祥院の住職さんもいらっしゃっている関係で祀っているそうです。
最後に集合写真。約1時間半の法要でした。
板塔婆に成良と重源のお名前が。
奈良・徳島 祈りの架け橋として東大寺さんと吉祥院さんの合同法要だからです。
私が把握しているだけでも4山の方々。
大変失礼ながら、比較的知名度の低い成良の法要に錚々たる顔ぶれ…
・東大寺(奈良市) →法要の場所で導師様
・海龍王寺(奈良市) →この法要の話を吉祥院さんから聞き、東大寺さんへ伝えた
・吉祥院(徳島県神山町)→法要の発案
・万代山 大日寺(兵庫県神戸市)→平家琵琶。吉祥院さんと親交がある
法要後は関係者は俊乗堂内の拝観。
吉祥院の新居住職は取材陣に囲まれていました。
表白を聞いた時は涙が出そうになったことや海龍王寺さんが縁をつないでくださったことなど、インタビューに答えていらっしゃいました。
Instagramでも熱い思いを語られています。
吉祥院の新居住職のInstagram → https://www.instagram.com/a30210s30210/
この日は10月と思えないほど暑くて日差しも強く、でもおかげで全てのことが輝いて見えて強く印象に残りました。
お供えのお下がりでしょうか?羊羹とスダチをいただきました!!
関係者の皆様、本当にありがとうございました。
この貴重な日に立ち会うことができて心から感謝しています。
一緒に参列した友人の一人もブログに法要の様子を載せています。
違った視点で非常に東大寺さんに詳しいのでリンクを貼っておきます↓
https://namusaijo.blog.fc2.com/blog-entry-2303.html
その後は友人たちと東大寺を散策したり、般若寺の平重衡供養塔にお参りしたりして充実の一日でした。
東大寺二月堂からの眺め
二月堂内のわらび餅抹茶セット
般若寺のコスモスはこの日、4分咲きでした。
オオスカシバ
蜂(種類がわかりません)