平家と源氏の最後の戦いとなった壇ノ浦合戦。
激戦地と云われる関門海峡を背景に平知盛、源義経の像が訪れる人々に当時の様子を訴えかけているようです。
サンデン交通サイト↓
http://www.sandenkotsu.co.jp/bus/route_bus/route_map
日本史の節目を刻む関門海峡
西へ東へと1日に4回、その流れの向きをかえる関門海峡。
せまい所では、両岸の幅は700メートルあまりで、潮流の速度は、最高で約10ノット(時速18キロ)にもなります。
また、瀬戸内海の入口に位置する地理条件から、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっています。
寿永4年(1185年)3月24日、平知盛を大将にした平家と、源義経ひきいる源氏がこの壇之浦を舞台に合戦をしました。
当初は平家が優勢でしたが、潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められました。
最期を覚悟した平知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え8歳の安徳天皇を抱いて入水。知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。
日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していきました。
なお、この戦いにおいて義経は平教経の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」を見せたといわれています。
(この二体の像は公募デザインを基に制作しています。)
源義経「八艘飛び」
平知盛「碇潜:いかりかづき:」
入水後、浮かび上がって首を取られないようにと碇を担いだとか、鎧を二領着たとか、とにかく重りを付けて海へ消えていった知盛。
とにかくこの像をみていただきたいです!!
日没ころからライトアップも。
知盛像の近くには知盛の母・二位尼が詠んだ辞世も。
あ、義経のライトアップ撮り忘れた……
この義経は八艘飛び。教経の強弓から逃げ回っていた行動が「八艘飛び」と呼ばれているなら教経の像があって然るべきかと個人的には思いました。
木に囲まれた赤い橋の向こうには壇の浦古戦場址の碑があります。
裏面にも壇ノ浦合戦のことが書かれていますがかなりよみにくくなっています。
最後の方の二位尼(平時子)が詠んだ辞世を抜粋します。
おん歳8才の幼帝を奉持した二位尼は
いまぞしる 身もすそ川の 御ながれ
波の下にも みやこありとは
(長門本 平家物語)
の辞世を残して入水され怨をのんだ一門はこの海峡の藻屑となった。
「身もすそ川」というのがこのみもすそ川公園の由来なはなつていると聞いたことがあります。
無料、お客さんが集まり次第始まる紙芝居。
2019年3月23日に訪れた時の動画です(約13分)
「壇之浦合戦絵巻」の上演は4月からなのに平家好きで命日参りに来たと話したら、特別に上演してくださいました!!
この対応が素晴らしい、また行きたくなります。
【場所】
みもすそ川公園から道路を渡った関門トンネル人道入口(屋根有り)
晴れの日は義経・知盛像の横で上演される場合も。
演目は壇之浦合戦や耳なし芳一など2~3ヶ月ごとに変わります。
演目、時間などは下記の「下関観光コンベンション協会」ホームページでご確認ください↓
https://www.stca-kanko.or.jp/
2015年9月6日は平家、源氏の旗がたなびいていました!
この時の壇之浦合戦絵巻の動画も。(約12分)
それにしても紙芝居の教経が怖すぎる……
しかも「おっさん」って…義経より1歳若い当時26歳ずなのに!!
紙芝居は現在は5種類。
現地で海の音や風などとともに歴史体感紙芝居、いかがでしょうか。