源頼朝が父・義朝の供養ために建てた勝長寿院ですが、個人的には頼朝が建久6(1195)年3月に大仏殿落慶供養に出席、鎌倉へ帰還する際に平増盛と忠快を同行させ、増盛を勝長寿院に住まわせたことに注目しています。
※平増盛は平知盛の子、忠快は平教盛の子。増盛からみて忠快は親のいとこ。2人とも早くから僧になっていたと思われる。
忠快は慈円の弟子になっていて、壇ノ浦合戦後は特に実朝から信頼を得て再三、鎌倉を訪れています。
書籍『平家後抄(下)』によると頼朝がなぜ、増盛を勝長寿院に住まわせたかは不明だそうですが、大変興味深いことです。
現在では住宅の一角にひっそりと勝長寿院跡として残され、正面には比較的新しい住宅が建ち北側は駐車場になっています。
道路から3歩ほど踏み込むとフェンスで囲まれた角に五輪塔が二基と石があるのみ。
左から源義朝、鎌田政家の墓。
鎌田政家は源義朝に仕え、平治の乱で敗北後、逃亡中に立ち寄った政家の舅と義理の兄(長田忠致と景致)の裏切りにより義朝と共に討たれました。
ちなみに時を経て源頼朝は長田忠致・景致を松に磔にし、敵を討ちました。※磔の松跡は愛知県の知多半島にあります。
また、この碑にも注目です。
上の写真の碑の後半を要約すると、実朝と政子もここに葬られたと伝わるが、その墓は扇ガ谷の「寿福寺」に在ると書かれています。
「寿福寺」の参考サイト↓ 次はここにも行ってみようと思います。
https://www.trip-kamakura.com/place/168.html
それと気になったのがフェンスを挟んで南側の一角。
木の根元に祠?らしきものがありました。
ここには特に説明などがありませんでした。
勝長寿院の一部なんでしょうか?
話を戻しまして現地には増盛については何も書かれておらずどのような生活をしていたのか、また、どのくらいの期間住んでいたのか分かりませんが、この地にはまた訪れたいと思います。
②鎌倉駅から東へ徒歩25分
https://www.trip-kamakura.com/place/shochoujyuinato.html