頼朝のみが知る?頼朝の死因の原因となった落馬の地。
現地には説明のみが残っているようです。
(実際の死因については謎が多く不明のようです)
建久9年(1198)戌午12月27日
将軍源頼朝公、稲毛重成の亡妻元子、追善供養のため造らるる、相模川橋の法要供養に臨席の、頼朝公が鎌倉の館へ帰途、 八的ヶ原(辻堂)に差しかかりし時、突然落馬する難に遭遇する。
落馬地は京・鎌倉往還(三浦藤沢信用金庫辻堂支店駐車場前)「保暦間記」に「建久九年の冬、右大将(頼朝)殿 相模川の橋供養に出で、還らせ給ひけるに、八的ヶ原という所にて、滅ぼされし、源氏・義広、義経、行家己下の人々の怨霊現じて、将軍の目を見合せり」と記され、八的ヶ原とは辻堂の地を指している。
源平物語り関係の書物には、将軍頼朝公は怨霊が目に現じて、落馬したと記述されているが果たして真相は。 頼朝公だけしか知る人はいない。
今を去ること809年前、この地にて頼朝公は落馬し、意識喪失し急遽鎌倉の館に護送された。
その後も昏睡状態が続き、 1月10日頃には一時回復し、京都の九条兼実宛「今年必ズ、シズカニノボリ他ノ事沙汰セント思ヒタリケリ、万一事存ノ外ニ候」と書状を認めた後に再発し、
建久10年己未(1199)1月13日 薨去 享年53歳
平成19年丁亥(2007)12月27日 設置
辻堂駅前町内会
ちなみに頼朝と政子の次女・三幡:さんまん:も同じ年の6月に数え年14歳で亡くなりました。
本当に怨霊の仕業かもと思ってしまいます。
住宅が立ち並び、しかも正面は集合住宅の出入り口。
ここの周辺に住んでいると毎日、頼朝の落馬のことを考えてしまうのか、それとも当たり前過ぎて頼朝のことは何も考えなくなるのか。
犬の散歩されている方などはやはり素通り。
見慣れていると、いちいち立ち止まりませんよね。
住宅街にお邪魔しました。
西へ約50mのところに鎌倉街道の標識がありました。