源為義(みなもとのためよし。源頼朝や義経たちの祖父)は六条堀川に邸があったため六条判官(六條判官)と呼ばれ、その称号「六條」が神社名となっています。
下記由緒によると「保安4年4月(1123年)八幡大神を京より勧請合祀」とあり、為義が数え年で28歳の時のこととなります。
その後、源為義は保元元年(1156)の保元の乱で崇徳上皇方で敗北、息子の義朝が処刑を命じられました。為義61歳の時でした。
■鎮座地 神戸市北区山田町中字宮ノ片57
■御祭神 応神天皇
■由緒
摂津丹生山田六條八幡宮縁起によれば、古くは若宮八幡宮と称せられ、昔、神功皇后紀伊の水門より難波の浦(大阪湾)務古の水門の御舟を留め給いし時、この山田の地にしばらく行宮を営み給う所となりと伝えられている。
後、人皇60代一條院の御代に周防國大嶋郡の基燈法師がこの地に来て、長徳元年(995年)5月、黒木の寶殿一宇を建立し、八幡三所の神霊を勧請した。
更に、人皇74代鳥羽院の御代保安4年4月(1123年)、六條判官源為義がこの山田庄の領主であった時、夢想の霊感によって六條左女牛:さめがい:の八幡大神を京より勧請合祀し、いにしえよりの八幡宮を再造した。
これよりふたたび神徳あらわれて多くの人が崇敬し、為義の称号をとって六條八幡宮と申し奉るようになった。
なお、室町期における神佛混肴の名残りで、今も境内に三重の塔(文正元年・1466年建立)があり、重要文化財の指定を受けている。
当 八幡宮が所在する丹生山田庄は、一時期平清盛領となったが、平家没後、源頼朝が接収し、京都六条の若宮八幡宮(現在は東山区五条坂に鎮座)に寄進している。
現在 山田町を中心とする地域の氏神として、源氏ゆかりの厄除けの神として多くの崇敬を集めている。
■境内社
稲荷神社
住吉神社
山王神社
大歳神社
猿田彦神社
宇賀魂命:うがみたまのみこと:
住吉三神:すみよしさんしん:
大山祇命:おおやまずみのみこと:
大歳神:おおとしのかみ:
猿田彦大神:さるたひこおおかみ:
神功皇后:じんぐうこうごう:
高良大神:こうらおおかみ:
■祭日
1月19日 厄除祭:やくよけさい: 引目神事:ひきめしんじ:
9月第3日曜日 神幸祭:しんこうさい: 神輿渡御:みこしとぎょ:
10月第2日曜日 例祭 流鏑馬神事
(神戸市登録 無形民俗文化財)
流鏑馬神事も行われているそうで、鳥居から本殿まで結構距離があります。
本殿近くには大きなイチョウが。
その横には社務所。
絵になる風景です。
1466年建立とされる三重塔。
2016年12月に参拝した時は参道脇にも由緒がありました。
取り外されたようで2021年5月に訪れときにはなくなっていました。
観光地ではないと思われる場所ですが参拝者が絶えずあり、信仰されている方が多いようです。
遠くに最寄りバス停となっている山田小学校が見えます。
神戸電鉄 箕谷駅で下車。
中央が駅舎です。洋式トイレで石けんも完備。
改札を出てそのまま1分ほど坂道を下ると鮮やかな緑の屋根が目印のバス乗り場です。
衝原:つくはら:行きに乗車します。
約10分の乗車で山田小学校前バス停に到着です。
バスの進行方向に徒歩2分ほどで右手に下記の写真場所が見えてきます。
志染川:しじみがわ:を渡ります。
ここを右へ。
薄くなっていますが右が六條八幡宮。ここから間もなくです。