行ってきました。
兵庫県の神戸市立博物館で2021年3月28日まで開催の『大阪湾の防備と台場展』と『企画展 神戸源平巡り―『平家物語』の舞台を訪ねて―』
お目当てはもちろん源平。
一ノ谷合戦を中心にした内容で、平敦盛の遺児・小敦盛と一緒に旅をしているように解説が設置されています。
我らの先輩・小敦盛
小敦盛の解説が可愛い。
撮影は一部を除き可能。
勉強になったのは
・重衡とらわれの松の出典
・重衡がとらわれた場所(須磨もしくは明石)
・盛俊の塚は陣をおいた場所
・梶原景時ゆかりの「魁石」が今も行方不明
魁石:さきがけいし:については2004年発行の「源義経 鵯越の坂落し」に阪神淡路大震災以降は所在不明と書かれていて気になっていました。
1番よかったのは須磨寺所蔵の当山歴代 上巻。
展示はごくごく一部ですが感動!これは撮影禁止でしたが見れて良かったです。
気になったのはこの展示室内に敦盛は17歳と説明があるのに生年が1169年とかかれていること。
生年と年齢が合致しません。
複数説がありますが、17歳と書くなら1168年に、1169年と書くなら16歳のどちらかに統一していただきたいです。
通盛は不明な点も多いようですが、生年が1153年となっていました。
平家物語通りなら一ノ谷合戦の時、通盛は30歳で初めて子供を授かったという話があるのでそれなら1155年生まれ。
複数説がある出来事や年齢は難しいです。
間違いもありました。
平重衡の没年が1184年となっています。
正しい没年は壇ノ浦合戦のあった1185年ですね。
この展示で没年が1184年と書かれていたらここで重衡は討たれた、または自刃かと勘違いしそうで危険です。
ミュージアムショップで販売されている冊子も同じです。
アンケートには書いてきましたが、訂正されるのでしょうか。
2016年の「須磨の歴史と文化展―受け継がれる記憶―」の時の一ノ谷合戦屏風絵の解説はとにかく誤字と間違いだらけで見れたものではありませんでした。
それから考えると今回は気になる所も少なく、価値があると思います。
今回の一の谷・屋島合戦図
これは詳しい解説で良かったです。
宗盛から手ごわい山手を引き受けてくれないかと頼まれた教経が敗走の様子。
知盛を船まで連れて行った井上黒。現在の長野県須坂市井上が生誕地とされています。
ちなみに地名の「井上」のアクセントは現地の須坂市の方は「い」にアクセントをおいて話をされています。
ところで史跡少な過ぎやしませんか?
他にもあるとは書かれていますが、これはいかがなものかと。
また、以外なところで頼朝を発見。
これは神戸源平巡りではなく、大阪湾の防備と台場展に展示されています。
来館は事前予約制です。