↑写真左が八重姫を祀る八重姫御堂(静堂)。
平治の乱後、処刑されるところを池禅尼の懇願により伊豆に流罪となった源頼朝。その見張り役だった伊東祐親:いとうすけちか:。
祐親が京の大番役(京の警護)に数年、家を空けている間に祐親の娘・八重姫と頼朝は恋仲になり千鶴丸と名付けられた子供も生まれました。
しかし大番役を終えて帰宅した祐親は流人の頼朝との仲を許すことは出来ず、祐親の孫にあたる千鶴丸は川に沈められ、八重姫は別のところに嫁がされました。
八重姫は頼朝を慕って抜け出したもののすでに頼朝の側には北条政子がおり、戻る場所を失った八重姫は悲しい最期を選びました。
源頼朝との契りの一子「千鶴丸」を源平相剋のいけにえにされた伊東祐親の四女「八重姫」は、悶々日を送る中、遂に意を決し、治承4年7月16日侍女6人と共に伊東竹の内の別館をぬけ出し、亀石峠の難路に、はやる心を沈めながら頼朝の身をかくす北条時政舘の門をたたきました。
然し既に政子と結ばれていることを知る邸の門衛は冷たく、幽閉された身の我が舘に帰る術もない八重姫は、あわれ真珠ヶ淵の渦巻く流れに悲愁の若き「いのち」を断ってしまいました。
悠久800年、狩野川は幾度か流れを変え、今は「古川」の小さな流れに閉ざされた悲恋のしのび音を偲ばせてくれます。
尚、当院境内に県下最古の「五輪塔」(1302)並に磨崖仏(1363)その他宝幽印塔(1335)等々貴重な石造物が安置されています。
八重姫奉讃会
※補足
伊東祐親は頼朝の命も奪おうとしましたが、伊東祐親の次男・祐清が頼朝に危機を告げ北条時政の屋敷に逃れることができました。(伊豆山神社に逃げた説も)
北条時政も伊東祐親と同じく流人である頼朝の見張り役でした。
八重姫御堂と左手前が「八重姫主従七女之碑」
■八重姫御堂(静堂)
鎌倉初期、源頼朝との恋にやぶれ悲恋の入水をした伊東八重姫をまつる御堂で、堂内正面に八重姫の木像を安置し、下に供養塔を収める。
・那木
堂の右手の大木は那木(和木)といい、平和、穏やかの意。この葉は横に割けず、愛のお守りとして、又、家族平穏のお守りとして持つと功徳があるという。
・願かけ石
堂左前にある願かけ石は、自分の年の数だけ石をたたき、願い事をすると必ず成就すると古来より伝えられている。
上記の願かけ石はこちらです↓
その反対側にハシゴが置かれている訳は…
■梯子供養
八重姫が入水した時、せめて梯子があったら救う事が出来たのにという里人達の気持ちが、今日、願い事が成就した時そのお礼参りとして梯子を供える習慣として残されている。
「八重姫慕情」と題した歌もあるようです。
どこで聞けるんでしょう?
お昼前に参拝しましたが、とても静かでした。
※周辺には北条政子や源頼朝などのゆかりの地が多数あり、レンタサイクルが便利です。
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周辺地図もありました!