源頼朝や北条政子たちが信仰した伊豆山神社と深い関わりをもつ「走り湯:はしりゆ:」
頼朝の息子・実朝が詠んだ歌も刻まれています。
海側のバス通りから見ると「日本三大古泉 走り湯」の案内が見えます。
先ずは走り湯について。
■走り湯と役の行者
伊豆山の海岸の洞穴から熱いお湯が海に向って流れ出ているのを知っていますか。
昔は、もっともっと勢いよく、走るように流れでていました。
それで「走り湯」と名づけられています。
この「走り湯」には次のような話が伝わっています。
昔、文武天皇のころ(西暦699年)役行者と言う仙人がいました。
この仙人は鬼神を使って、水をくんだり、薪を割らせたり、掃除をさせたりする事ができました。
そんな力のあらう役行者は、しだいにわがままになり都で自分勝手の振る舞いをして、都を騒がせましたので、捕らえられて伊豆の大島に流されました。
その役行者がある日、大島から伊豆の方を眺めていますと、伊豆の山の上に五つの色をした雲が出ているのを見つけました。
不思議に思った役行者は、波の上を渡って来てこの「走り湯」を見つけたという事です。
役行者は、この「走り湯」の近くに草で小さな家を作り、滝のように流れるお湯にうたれながら、さらに修行して立派な仙人になったといる事です。
役行者が罪を許されて都に帰った後も日本中の修験者(山にこもって修行する人)がここに集まって、修業をしたので、「走り湯」の名前は広く知れわたりました。
(あたみの民話と伝説、むかしこんなはなしがあったとさ)より
(後略)
ここが走り湯です。
出入口。
蒸気がすごく、カメラが心配なため入りませんでした。
またいつか訪れる機会があればカメラはどこかに預けてから内部に入ってみたいと思います。
脇には立派な碑が建てられています。
史跡 走湯温泉
昭和52年4月25日 市指定
この温泉は、奈良時代の養老年間に発見された全国唯一の横穴式源泉である。
往時は一日約七千石(1分間に約900リットル)の温水が湯滝となり奔流となって海岸に流れてたといわれている。
古くから霊湯とされ、火山や温泉湧出に対する自然信仰から生まれた伊豆山神社と深いかかわりをもち「走り湯権現」とよばれていた。
いずれも日金山を背景に、山伏の修験の地として発展した。
源頼朝は、治承4年(1180)8月の旗揚げ前から、伊豆山権現を信奉していた。
平家滅亡後まもなく「二所詣:にしょもうで:」と言って、伊豆山権現、箱根権現を参詣した。
のち三島明神も加えられて、政子や実朝もこれを行った。
明治の初め、皇室の御料温泉となり、伊豆山温泉発祥の源泉として、観光開発に貢献した。
しかし、昭和39年源泉の多掘の影響をうけて枯渇したが、昭和45年増掘によって復活した。
三代将軍・源実朝は、二所詣の折、ここで次の三首の歌を詠んだと金槐和歌集:きんかいわかしゅう:に載っている。
いづのお山とむべもいひけり
はしるゆの神とはむべそいひけらし
はやきしるしのあればなりけり
伊豆の国山の南にいづる湯の
はやきは神のしるしなりけり
(表記は国歌大観に●る)
伊豆山走り湯温泉組合
熱海市教育委員会
向かいの資料館でさらに詳しく知ることができます。
走り湯の上には走り湯神社が鎮座しています。
少し高い所に設置されている足湯。
利用時間は午前9時から午後4時。
一度に利用できるのは2~3人ほどの広さです。
足湯からの眺め♪
タオルを持っていなかったため利用しませんでしたが、時間をとってのんびりするのもよさそうです。
資料館や足湯を利用する場合は1時間以上必要と思われる
ここから伊豆山神社への参道となっており、階段を上がること20~30分で到着します。
■伊豆山神社参道「いま むかし」
現在の伊豆山神社の参道は837段のコンクリート製階段が確認されていますが、昭和30年代初期までは写真にあるとおり浜石の石段でとても情緒的で壮観であり又、その石段は海から神社本殿まで繋がっていました。
現在ではコンクリート製階段の下に写真の浜石の石段がほとんどの部分が眠ってしまっています。
時代の流れの中で浜石の参道は姿を変えてしまいましたがそこから見られる雄大な相模湾や沖に浮かぶ初島などの景色は平安の頃より変わらぬ表情を見せてくれています。
悠久な時の流れの中で、偉大なる先人たちが国家の安泰、国民の幸せを願いながら歩いた参道を、あなたのその足で歩いてみてください。
かつて源頼朝と北条政子に運命の導きを与えた伊豆山の大神があなたにも微笑みかけてくれるかもしれません。
後援・協力
熱海市・伊豆山神社・伊豆山温泉観光協会
静岡県コミュニティづくり推進協議会
こちらは比較的新しく設置されたようです。