木曽義仲軍の都入りにより都落ちした平家一門は太宰府の次に宇佐神宮に参籠しました。
しかし平重盛の元家人・緒方惟栄(維義)に攻められ、宇佐神宮でも祈っても仕方なしというような神託を受け、悲観した平重盛の三男・清経は船の上で念仏を唱え入水してしまいました。
このことを清経の叔母・建礼門院 徳子が後白河法皇に語る場面があります。
それが平家物語覚一本 灌頂巻「六道之沙汰」です。壇ノ浦合戦の翌年、出家し京の大原で暮らしていた建礼門院を後白河法皇が訪ねた折に清経の入水が「心憂きことのはじめ」と涙ながらに話しました。
遠くに住宅が見えるのどかな場所です。左側の林の中に入ってすぐに五輪塔が並んでいます。
大きな塔が3基、周りにも小さな塔が多数置かれています。
解説板より
(平成6年9月7日 町指定石造品文化財)
「京都郡誌」によると、平家は源氏に都を追われ、柳浦で入水した清経の遺体は流されて苅田の浜に漂着した。
土地の宿老達はこれを火葬して丁重にこの地に葬ったと伝えられる。
その後、最明寺入道時頼が諸国行脚の節、ここに立ち寄り、清経の霊を慰めるため3基の供養塔を建てたと言われている。
大型の石塔の作成年代としては、鎌倉から室町時代と推測される。
左の一基は新しいようにみえますが、作られた年代が違う?
草木に囲まれていますが、塔の周りは歩いてお参りできます。
入口の岩には文字らしきものがありましたが、読めませんでした…
蝶も蜂も蚊も飛んでいました♪
住所
福岡県京都郡苅田町大字馬場
京都郡→みやこぐん
京都郡→みやこぐん
交通
JR「苅田:かんだ:」駅から西南へ徒歩18分
参拝について
自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2016/07/31
備考
季節により虫よけスプレーがあるといいかもしれません
清経の供養塔(終焉の地)は大分県宇佐市にも存在しています。
また、平家一門が参籠し祈っても仕方なしと神託を受けた宇佐神宮も同じ宇佐市内です。
清経ゆかりの地として一緒に巡ってみてはいかがでしょうか。
大分県(2件)
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