野間大坊は源頼朝が父・源義朝のために七堂伽藍を造営したり不動明王などを祀りました。
境内には源義朝やその郎等の鎌田政家夫婦の墓が建てられています。墓がある理由は平治の乱に関係します。
平治元年(1159)12月9日に勃発した平治の乱。
その背景にあるのは後白河法皇に気に入られていた信西と藤原信頼。
信西は無能な藤原信頼の昇進を阻み、藤原信頼は手腕を振るう信西を恨み、平家に不満を持つ源義朝を手を組み、そこに二条天皇派と後白河院派の人々が絡むかなり複雑な人間や政治が関係する乱が起こりました。
平清盛一行が熊野詣に出かけた隙を突き、行動に起こした藤原信頼と源義朝。
清盛一行が京に戻り、実際に戦いになったのは12月26日。
敗れたのは藤原信頼、源義朝軍。義朝は息子の朝長や頼朝たちと東国へ落ち延びることにしました。
しかし道中、朝長は矢傷が悪化し義朝が泣く泣く手にかけ、13歳で初陣だった頼朝は疲労のためか関ケ原付近で雪の中、いつの間にかはぐれてしまいました。
その後、義朝は東国へ向かう途中の休息場として郎等の鎌田政家の妻の実家に立ち寄ります。
そこが知多半島の野間、12月29日着。年が明け1月になり、ここが義朝、政家にとって終焉の地となってしまう運命が待ち構えていました。
YouTubeチャンネル「美浜まちラボ」で平治の乱から義朝たちが討たれるところまで大変分かりやすく説明されていますので埋め込んでおきます。
ちなみに同チャンネルの「恋の水神社」の説明にも平安末期の話が登場し、信西の三男で平清盛の娘と婚約した藤原成範の娘の話もされています。
(5分30秒あたりから)
さて、野間大坊の話に戻ります。
■大御堂寺 沿革
大御堂寺は、通称野間大坊として皆様に親しまれています。
その歴史は古く天武天皇(673~86)の時代に始まり聖武天皇(723~49)の時、行基菩薩が中興します。
後に弘法大師が諸国行脚の際、留錫:りゅうしゃく:し、一千座の護摩を焚き、庶民の幸福を祈りました。
承暦年間(1077~81)に白河天皇の勅願寺として、大御堂寺と称せられました。
後に源頼朝公が亡き父・義朝公の菩提を弔う為に建久元年(1190)に開運延命地蔵尊と不動明王を奉安され、七堂伽藍を造営します。
そして秀吉、家康の肥後をうけて発展。
現在、尾張地方随一の祈祷寺として信仰を集めています。
下記、順番におすすめを紹介します。
・源義朝の墓、鎌田政家夫婦の墓、池禅尼の墓
・鐘楼堂
・平判官 康頼卿の墓
・五重塔跡
・血の池
駅から近いのが義朝の墓で、その後ろに鎌田夫婦と池禅尼の墓が囲むように建てられています。
義朝が好きな方は是非
2014年の1月3日にお参りした際は源義朝の命日と表記されていました。
※日にちについては他にも説があるようですが、野間大坊では1月3日。
しかし、現代では世間は正月三が日。境内には屋台が出て人が多く、とても命日感はありませんでした…
■池禅尼:いけのぜんに:
平忠盛の後妻で家盛、頼盛の母。清盛にとっては継母。
平治の乱から落ち延びる途中で父とはぐれた頼朝は捕らえられ、清盛は命を奪うつもりでしたが池禅尼は数え年14歳の頼朝が早くに亡くなった息子・家盛に似ていることから飲食を断って助命したおかげで頼朝は流罪となった、頼朝にとっては命の恩人です。
■鎌田政家夫婦の墓
鎌田夫婦については現地に説明があります↓
鎌田政家:かまたまさいえ:
義朝・政家主従は政家の舅である尾張国、野間内海荘の領主・長田忠到:おさだただむね:の館にたどり着く。
だが忠到の裏切りにあい、義朝は風呂場で殺害され、政家は酒を飲まされて騙し討ちに遭い、忠到の子・景到の手にかかって殺された。
妻の清は「せめてお供をお許しくださりませ・・・」と言いつつ、壁ぎわに押しのけられた夫の太刀に手を伸ばした清は、いきなりその鞘を払って「兄上も、父上もよくごろうじませ。わたくしは平衛尉政家の妻でございます」
とどめる間のない一瞬のことであった。
清はいきなり小袖で刃をかき抱き、その屹先を喉に当てがって政家のからだの上へ伏し倒れた。「お許しあそばして……」
この武将印、2020年ごろから始められたそうで客殿(墓から西方向)でお求めいただけます。
源平時代の人物のみ武将印を頼みました。
寄進したのは九条頼経の息子。九条頼経は大河ドラマ・鎌倉殿の13人で三寅:みとら:として登場しました。
平康頼:たいらのやすより:は荒れていた源義朝の墓を再建しました。
後に鹿ヶ谷事件と呼ばれる平家打倒を目指す密会に参加、捕らわれ鬼界ヶ島に流されましたが平清盛の娘・徳子の懐妊を機に許されました。
頼朝が義朝の供養のため建立。
その姿を拝むことはできないのが残念です。
「絵解き」で義朝最期の解説は事前申込み、有料で約20分だそうです。
詳しくは野間大坊ホームページに↓
https://nomadaibou.jp/picture.html
そして忘れずに見ていただきたいのが義朝の首を洗った血の池。
野間大坊の南東ですが、道路に出る必要があります(境内ではない?)
赤く染まらないことを願うのみ。
結構交通量がありますので、見学の際はお気をつけください。
事前申込み絵解きは約20分