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道の駅 倶利伽羅 源平の郷<石川県河北郡>

火牛の計など

寿永2年5月の俱利伽羅峠合戦で木曽義仲軍の一人、「樋口次郎兼光隊進軍の地」と伝わります。
火牛の計のなどの展示物や源平茶屋、源平の湯、そして宿泊も可能な道の駅です。

俱利伽羅峠合戦について簡単に
俱利伽羅峠は石川県津幡町と富山県小矢部市にまたがる砺波山にあり、徒歩で越えられます。

寿永2年5月11日には平維盛率いる平家軍と木曽義仲軍との戦いました。
平家軍は西側に、義仲軍は東側に陣取りましたが、義仲四天王の一人・樋口次郎兼光は迂回して平家の退路を断ちました。

源平盛衰記に描かれる義仲が牛の角に火のついた松明を括り付け平家軍めがけて放った「火牛の計:かぎゅうのけい:」が有名で、平家軍は馬も人も多くが谷底に落ち大敗しました。

↓現地解説図一部切取り(3枚)
北側を迂回している青い矢印が樋口兼光進路で、平家本陣の背後に迫っているのが見て取れます。
拡大

↓複数説があり、平家物語覚一本によると志雄山(搦手)へ向かった平家軍は忠度、知度、武蔵三郎左衛門で、通盛と盛俊は俱利伽羅峠がある砺波山(大手)へ向かっています。
出陣

俱利伽羅神社蔵

全体図
それぞれの進軍ルート

道の駅 倶利伽羅 源平の郷

215号線沿い、竹橋交差点近くにあります。
北陸道歴史国道

道路沿いに近い建物が情報棟で、俱利伽羅峠合戦に関する資料が展示されています。
入口

源平だんご?

大河ドラマを目指して

笹竜胆紋

お手をふれないでください

残念、源平ロマン「火牛の計」見たかった…
故障中…

トイレ側に出た通路から見ると平家の家紋・揚羽蝶紋が。
蝶紋

そして俱利伽羅峠合戦で有名な、牛の角に松明をつけて平家軍を追い落とした「火牛の計」を模した牛!!
木曽義仲のせいで平家が…

迫力

その後ろ側には津幡町の大河ドラマ誘致推進キャラクターが。
左から
・火牛のモーちゃん
・ともえちゃん
・よしなかくん
・火牛のカーくん
可愛いキャラクター

芝生の隅には「樋口次郎兼光隊進軍の地」
見学自由

碑より
寿永2年(1183)5月源平合戦俱利伽羅峠の戦いにおいて、七手に分かれた木曽義仲軍(源氏軍)の一手である樋口次郎兼光隊約3000騎は、加賀の武士団である林と富樫を先導に、笠野から富田を通り、この竹橋の地から、俱利伽羅山頂に陣を構えた平家軍の搦め手(陣地の後ろ側)に向かった。

加賀の武士団の中には、津幡町を本拠とした井家氏の一族、津波田三郎も加わっていたという。

平成26年3月吉日建立 津幡町

平家軍と戦うために

樋口次郎兼光と一緒に出陣した人々

木曽義仲を育てた中原兼遠の次男
樋口次郎兼光
戦略上、重要な役割を果たした

加賀の國の住人で僅か17騎を従えて平家軍と戦った
井家二郎範方
根上がりの松で壮絶な最期を迎えた

俱利伽羅峠合戦で平家軍の主力を打ち破った
津波田三郎
命と引き換えに義仲の戦意を取り戻した

長野県木曽町にある長福寺にこの2人の名前が残されている
太田次郎兼定
入江小次郎親定

今後の研究が待たれる2人

※参考※
進軍の地の碑に書かれている「竹橋」の地名は道の駅のすぐ近くです。
花壇?

進軍の地の碑の近くで腹ごしらえも。
■御食事処「源平茶屋」
俱利伽羅蕎麦の幟

源平山菜そば(うどんも可)650円税込み※2019年7月現在
他、くりから弁当や源平弁当もありました。
山菜と餅

■源平の湯
次の予定があったので湯には浸かれませんでしたので案内のみ
安い

バスの本数は少なく車だと便利ですが、倶利伽羅駅から歩いても徒歩30分ほどです。
史蹟巡りも兼ねて宿泊も可能な道の駅は有難いですね。

住所
石川県河北郡津幡町竹橋西270
交通
IRいしかわ鉄道「倶利伽羅」駅から
①津幡町営バス「俱利伽羅塾」下車すぐ
②徒歩30分

探訪について
屋外は自由、施設内は利用時間内
探訪目安時間
展示物などの見学20分~
源平の湯や源平茶屋を利用する場合は1時間以上
お気に入り度
★★★★☆
探訪日
2019/07/20
公式ホームページ

俱利伽羅峠合戦ゆかりの地

「大河ドラマに「義仲と巴」を!!」チラシが置いてあります。
津幡町はNHK大河ドラマ誘致を推進しています

義仲はともかく、巴は個人的に好きなので応援したい♪

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