平家全盛期に京で俊寛:しゅんかん:たちが平家打倒を企てた鹿ヶ谷事件は密告により失敗に終わり、俊寛、藤原成経、平康頼の3人は鬼界ヶ島に流されました。
その時、船を出したこの場所に碑が建てられています。
※俊寛たちの船出については霧島市の説も有ります
住所
鹿児島県鹿児島市中町
交通
①鹿児島市電「いづろ通」または「朝日通」駅徒歩5分
②JR「鹿児島中央」駅から徒歩30分
②JR「鹿児島中央」駅から徒歩30分
探訪について
自由
探訪目安時間
10分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2017/03/06
備考
–
解説板より
平安時代の末期、京の僧 俊寛は平家の横暴を憎み、これを倒すため京都の鹿ヶ谷で平康頼、丹波少将成経らと会合したところを平清盛に捕らわれました。
平安時代の末期、京の僧 俊寛は平家の横暴を憎み、これを倒すため京都の鹿ヶ谷で平康頼、丹波少将成経らと会合したところを平清盛に捕らわれました。
治承元年(1177)俊寛は平清盛によって鬼界島(現在の三島村硫黄島)にながされたとき、ここから船出しました。
明治31年頃ここが埋め立てられるまでは堀があって俊寛堀と呼ばれていました。
俊寛堀…見てみたかった……
碑の文字もはっきりし、解説板も比較的新しい印象ですが街中の建物の間にひっそりと佇んでいます。
うっかりしていると通り過ぎてしまいそうです。
※鹿児島県霧島市の船出の説についてはこちらにまとめました↓
霧島市 | 鹿ヶ谷事件をおこした俊寛、平康頼、藤原成経3人がここから船に乗って鬼界ヶ島にながされ、成親の後を追おうと伯耆局がここまでやってきた。 こがの杜 >> |
俊寛 平康頼 藤原成経 伯耆局(ほうきのつぼね) |