現在のぺージ
Home > 小侍従 > 阿波内侍、大納言佐局、治部卿局、建礼門院右京大夫、小侍従局の墓<京都府京都市>

阿波内侍、大納言佐局、治部卿局、建礼門院右京大夫、小侍従局の墓<京都府京都市>

山の中

壇ノ浦合戦後、出家した建礼門院(けんれいもんいん。平清盛の娘で安徳天皇の母・平徳子。)が余生を送った大原。

建礼門院大原西陵から西へ徒歩5分ほどの山に近い場所に下記の案内があり、正式名称が不明ですが阿波内侍たち5人の墓?供養塔?が存在しています。
義理姉妹や親しかった人

阿波内侍
信西の娘(または孫とも)で、突然大原を訪ねてきた後白河法皇に最初に対面。
頭脳明晰な信西は後白河法皇の側近として権力を振るい、その娘(孫)である阿波内侍とも旧知の仲だが、あまりの変わりように後白河法皇は阿波内侍だと気づかなかった。

大納言佐局
藤原輔子。平重衡の妻。建礼門院の義妹。
建礼門院を看取ったのはこの大納言佐局と上記の阿波内侍と平家物語覚一本は伝える。

治部卿局
平知盛の妻。建礼門院の義姉。壇ノ浦合戦後は上西門院に仕えたためここにはきていない?

建礼門院右京大夫
建礼門院に仕えた。建礼門院の甥・平資盛の恋人。自身の歌をまとめた『建礼門院右京大夫集』が有名。

小侍従局の墓
歌人で詠んだ歌にちなんで待宵小侍従:まつよいのこじじゅう:と呼ばれる。
源頼政の恋人?平忠度とも親しかった?

少し高いところ

この階段を登った所にひっそりと柵に囲まれています。

囲まれて

供花も

色々な形状の塔

現地説明板もなく書籍『源義経と源平の京都』(ユニプラン 2004年発行)によると建礼門院・徳子を慕う後世の人の手によって建礼門院の側にいた人々を弔ったのだろうと書かれています。

あまり目立ちませんが寂光院へお参りの際にはこちらへもお参りされてはいかがでしょうか?

住所
京都府京都市左京区大原草生町
交通
京都バス「大原」バス停から西へ徒歩20分

参拝について
自由
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2013/04/20
備考
寂光院のホームページに少し説明が載っています↓
http://www.jakkoin.jp/html/keidai/08.html
Share
Top