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聲乃口~小耳入<富山県小矢部市>

7箇所

寿永2年5月の俱利伽羅峠合戦。平維盛率いる平家軍は石川県側から、木曽義仲率いる源氏軍は富山県側から進軍し、砺波山の俱利伽羅峠付近で合戦となりました。

石動駅から南へ、砺波山の麓には木曽義仲軍ゆかりの地が複数あります。
このページでは
聲乃口
将軍塚
礪波の関
松永
膿川
陣貝山
小耳入
以上を「義仲と巴マップ」を参考に巡った内容でまとめました。
これ、詳しい
それと
小矢部市観光案内所
巴御前プリン(西村屋)
も紹介しています。

聲乃口(こえのくち)

義仲軍が鼓や法螺貝で鬨の声を上げた場所。
松に囲まれて

見上げて撮影

通り過ぎそう

小矢部市教育委員会

碑より
寿永2年5月11日夜五百の牛の角に松明を結び付け火●●平氏の軍に突●●
木曽の軍●太鼓法螺を用い鬨を合わせて一●●攻め●●●●叫びし●●
(以下読み取り不可能な箇所が多いがなんとなく意味は通じるかと思います)
薄くなっている

聲乃口周辺↓これを見つけるのも楽しみの一つ?
イラストも

バス停

将軍塚

「義仲と巴マップ」には木曽義仲が鎧兜を埋めて戦勝祈願をしたと書かれており、写真がないため地図だけを頼りに訪れました。
この上?

野端将軍塚古墳となっていて説明板もないため本当にここかどうかは不安なところです。

広場かな
何も書かれていない?

礪波の関

北陸道の関所があったと云われています。
全部が関係する?

特に木曽義仲のことは書かれていないようですが、この周辺を通過した可能性はあります。

正面

松永

根井小弥太が2000余騎で進軍した地。
木が目印

カエルがいる

祠も合戦に関連するのか不明です。
全体

碑より
寿永2年5月10日義仲の部●●根井小彌太2000騎(以下読み取れず)
膿川(うみがわ)

俱利伽羅峠で義仲軍の追い落とされた平家軍の人々や馬が落ちた地獄谷。
その血や膿が流れ出たことに由来して付いたという怖すぎる川の名前。
平家の膿がここまで

解説板より
平安時代末期の寿永2年5月(1183)、俱利伽羅合戦において、木曽義仲は角に松明(たいまつ)をつけた牛を平家軍に襲わせた奇襲戦法「火牛の計」によって、平家軍を撃ち破った。
平家軍の将兵の死骸から流れ出た血や膿が川となり、後に「膿川(うみがわ)」と呼ばれ、現在もその名が残されている。

恐ろしい名付けられかた…

田園風景の中の普通の川に見えるのに…
川は小規模

この橋は「松尾下橋」となっていますが道路を渡ったところには…
交通量わりとある

「膿川」となっています。
反対側にも注目

陣貝山(じんがいやま)
解説板より
北蟹谷の松永地区北方の山中にあり、平安時代末期寿永2年5月(1183)に木曽義仲軍が勢揃えして陣を張り、合戦合図のために陣貝(法螺貝)を吹き立てたことからこの名がついたと伝わる小高い山である。
勢揃え山とも

「義仲と巴マップ」に載っていなかったため通りがかりに偶然見つけました。
この説明板の後ろの木々に囲まれている場所が陣貝山のようだと後で知りました。
東側がじんがいやまらしい

小耳入(こみみいり)

根井小弥太が囁き伝達したことが「小耳入」の由来。
農道の四つ角に碑が建っています。
畔に

解説板より
平安時代末期寿永2年5月(1183)、木曽義仲軍の武将・根井小弥太(ねのいのこやた)が越中の住人・蟹谷次郎(かんだのじろう)を案内人として2千余騎を率い、ここから平家軍が陣取る最前線の源氏ヶ峰へと向かった。
その際、武将たちに小耳入れした(囁き伝達した)と伝えられており「源平盛衰記」にもその名が登場する。
石碑は明治期に建立されたものである。

進軍

小耳入という名前の由来

角にある

近くには巴塚、葵塚への道標が。
巴も葵も義仲の愛妾で、俱利伽羅峠合戦に出陣し、葵はこの合戦で命を落としました。
地図上で確認するとここから北へ1km強のところのありますが、塚付近でクマの目撃情報があると観光案内所で教えていただいたので、断念しました。
案内がわかりやすい

小矢部市観光案内所

あいの風とやま鉄道 石動駅の観光案内所には木曽義仲関連の資料が多数あり、おすすめです。
情報充実

今回参考にした「義仲と巴マップ」はここでいただけます。
石動駅に到着したらまずはここで資料集め。

↓義仲と巴マップは「義仲・巴プロジェクト推進班」ホームページで公開(PDF)されていますので事前に情報収集ができます。
http://www.yoshinaka.info/wp/wp-content/uploads/2011/08/yosinakatomoe-panf.pdf

訪れたのは2019年7月20日。
一週間後に「火牛まつり」が行われるようであちこちにポスターがありました。

レンタサイクルを利用しましたが、電動アシスト付きが無料で便利でした。
「義仲・巴ナビステーション」って源平好きにはわかりやすいですね。
参考

↓レンタサイクルについては小矢部市ホームページをご確認ください↓
小矢部市HPレンタサイクル

ちなみに石動駅から一番遠いであろう膿川まで寄り道せずに徒歩約55分です。
レンタサイクルだと埴生護国八幡宮も含めて3時間前後(昼餉時間含まず)でこのページで紹介した史蹟を巡れました。

この日は偶然スタッフさんが「おやべ木曽義仲研究会」の方で源平の史蹟巡りに来たと伝えたら冊子もいただけました。
ありがとうございます!!
年表など

俱利伽羅峠合戦イメージ

駅直結の小矢部市民図書館にも義仲の資料があるそうです。
便利な場所

↓このツイートで知りました↓

巴御前プリン

石動駅から北へ徒歩約7分の「西村屋」さん。
巴御前プリン(なめらかプリン180円)が販売されています♪
要冷蔵

なめらか

お店の周辺の蝶紋や笹竜胆紋の幟の写真を撮っていて、店舗外観を取り忘れ( ̄▽ ̄;)
源平

その他の俱利伽羅峠合戦などにちなんだお土産は「義仲と巴」サイトに多数紹介されています↓
http://www.yoshinaka.info/?page_id=7

小矢部市の義仲や巴たちの情報はかなり充実しているので事前に情報を集められて、お土産も史蹟巡りも十分楽しめます!!

源氏の白旗30梳を打ち立てたという「日埜宮神社」に行き忘れてしまたので、いつか再度巡りに行きます。

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