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平重衡 受戒之地<京都府京都市>

コンビニの前

寿永3年2月7日の一ノ谷合戦で生捕りになった平重衡は平家一門の首と共に京へ送られ、2/14に都大路を引き回され3月10日に京を発ち鎌倉へ送られました。
その間に対面した法然上人から受戒された地とされています。

解説板より
平家物語巻十の「戒文」に、一の谷の合戦にて囚われの身となった平重衡が、鎌倉へ送られるまで八条堀川の御堂に居えられたとある。

その時、重衡は法然上人に会って死後のことを相談したいと、守護にあたる土肥次郎実平へ願い出た。

その願いに応えられ、法然上人は八条堀川の御堂に居る重衡のもとへ赴かれ、浄土宗の教えを説かれ、戒を授けられたのである。

これが浄土宗の宗教教誨のはじまりである。

浄土宗教誨師会

新しい

都大路を引き回された重衡は八条堀川の御堂にて土肥実平の監視下で禁固となっていました。
平家物語覚一本によると故 中御門藤中納言 家成の御堂だったとされています。

出家をしたいと願い出る重衡、しかし法皇は頼朝に対面させた後ならともかく今は許すことはできないと云い渡しました。
しかし師弟関係にある法然上人との対面は許可が降り、法然上人は常に念仏を唱えることを忘れなければ極楽浄土に往生できると説きました。

そして十戒を授け、重衡は「松陰:まつかげ:」という平清盛が宋に砂金を送った返礼として贈られた硯をお布施として法然上人に渡しました。

ちなみに重衡と一緒に入京した平家一門の首は源範頼、源義経の要望により獄門にかけられました。
源範頼、源義経の主張では平家は、保元の乱では祖父・源為義の、平治の乱では父・義朝の敵であり、その恥をすすぐために今まで戦ってきたというものでした。

駐車場?

土肥実平

平成23年(2011年)12月24日建立
浄土宗を開いた法然上人の800年大遠忌の記念碑のようです。
記念

コンビニの前のため、なんとなく写真が撮り辛いです。
ぽつん

また、内裏には重衡と恋仲であった女房がおり、都落ちの際には手紙も送れずにいたためこの御堂にいる間に手紙を交わし、土肥実平が許可したため涙の再会を果たしています。

この女房については複数説がありますが、美しく多才だったようです。

約一ヶ月ここに滞在させられていた重衡。どんな気持ちだったのでしょうね。

2018年ころまで

周囲を取り巻く環境が変わり、以前は歩道の一角でした。
ツツジ

植物があるのはいいのですが、後ろの文字はほぼ読めなかったため変化があって良かったと思う一面も。
緑

京都駅の南側、徒歩10分圏内の行きやすい場所です。

住所
京都府京都市南区西九条池ノ内町60-1
交通
各線「京都」駅から西へ徒歩8分

探訪について
自由
探訪目安時間
10分~
お気に入り度
★★★★☆
探訪日
2013/04/20、2015/07/20、2017/05/03、2020/09/12
備考
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